【本の要約・気づき】『善の研究』西田幾多郎 ――家族を失った悲しみから

読書感想

前回に引き続き、

西田幾多郎著 『善の研究』より、

「絶対矛盾的自己同一」の

例を挙げていきたいと思います。

絶対矛盾的自己同一の例 ⑤ 「世界は多の一である。」

人類は普段は意識しない、壮大な概念のようであるが・・・



私という個人は

個人でありながら、

人類全体とつながっています。



人は個人でありながら、人類でもあります。



矛盾的ではありますが、

自己と同一です。



西田は、

「世界は多の一なのだ。」

と言います。



しかし、この言葉は

誤解した解釈から

批判を浴びます。



「多」を国

「一」を人民

にしたとき、



国の為の人民、

国の為に犠牲になる個人という

誤解された解釈をされてしまったのです。



多と一は、

従 関係にあるものではなく、



多と一は、

わかちがたく、結びついたものである

という意味を忘れてはいけません。



勝手な解釈や都合で

言葉の意味をねじまげられ

利用されてしまいます。



言葉は力を持っている
のです。




なぜ、このような概念を生み出したのか

西田は、なぜ、このような

概念を生み出したのでしょうか。



それはあいついで

家族を亡くした

哀しみの経験から

人生の始まりの瞬間を

知ったからです。



ビジネスの世界でも

孤独や苦しみを背負った人が

同じように苦しんでいる人たちの

ために立ち上がり、

新しいサービスを生み出し、

成功している例がいくつもあります。



孤独、絶望、

生きがいを失う、

人生が八方ふさがりになる。



しかし、

「絶対矛盾的自己同一」を

考えてみたとき、

自分と、大いなる他者とのつながり

見つけ出し、

暗闇から脱出できることがある。

西田はそのことを伝えたかったのだと思います。



次回も

「絶対矛盾的自己同一」の例を挙げてみたいと思います。




善の研究 (岩波文庫)
真の実在とは何か、善とは何か、宗教とは、神とは何か――。主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎(1870-1945)。東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組自体をも考察対象とした...

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