【哲学】カント『純粋理性批判』

読書感想

「純粋理性批判」

「純粋理性」とは、カントが作ったことばです。

人間にもともと備わっている認識の力のことをいいます。

「この範囲だったら確実に判断できるし、みんなが共有できる」

ということです。

「批判」とは、

「でも、ここからあとは、判断できない領域になる」

ということです。

この2つを組みあわせた、「純粋理性批判」とは、

「人間が知りえる限界がどこにあるかを吟味すること」

をいいます。

猫は赤がみえない

カントは

「人は生まれながらに外すことのできない

 眼鏡をかけてリンゴを見ているようなもの」

といいます。

猫は目の構造上、赤色が認識できません。

わたしたちが赤くて、丸い形をした果物をみて、

リンゴと認識し、リンゴと言えるのは、

人が認識できる(見えている)範囲で

赤くて丸い形をしていると認識しているのに過ぎません。

しかし、あの物体は赤くて丸い形をしている、

そしてあれはリンゴだ!という共通認識は存在します。

カントは

「人は生まれながらに外すことのできない眼鏡をかけている」

といいますが、

みんなが共通の「ヒト規格の眼鏡」をかけているから

この共通認識はできるのですね。

物事の本質を探ろうとするインド人の考え方に通じるものがありますね。

「正義」を語る

この世の中には絶対的な“正義”はありません。(当たり前ですが)

時代、年齢、国、立場によって、個人によって、それぞれの正義は違います。

しかし、

この部分は“正義”といえるよね、という共通認識を取り出すことはできます。

もし、神的ななにかが、

「これが正義だ!」と言ってしまったら、そこでハナシは終わってしまいます。

絶対はない、

揺らいでいる、

でも共通認識はある、

ということをカントはいいたかったのでしょうね。

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