前回
(かなり端折って書き出しですが)
カントはイギリス経験論にショックを受け、
自分なりの自然科学の認識を再考します。
1+1=2
ですが、なぜそれが「2」といえますか?
不思議なことに、国や宗教や時代を超えて、万人が「2」といえます。
「ア・プリオリな総合判断」
これは端的にいうと、
「どんな人間の頭の中にも入っている思考のパターン」
です。
時間と空間を認識し、
カテゴリーに分類し、
判断します。
たとえば、
1+1=2 を考えるとき、
頭の中にリンゴ1個を思い浮かべ、
同じ時間軸、空間軸にもう1つのリンゴを浮かべ
1つにまとめ、2と判断します。
これは
感性という時間と空間枠組みと
量的なカテゴリーによって
判断できたものだ!
とカントは説くのです。
このカテゴリーは12あります。
量:単一性、数多性、総体性
質:実在性、否定性、制限性
関係:実体と属性、原因と結果、相互作用
様相:可能、不可能、現存性、非存在、必然性、偶然性
「ヒト規格の共通眼鏡」「ヒト規格の共通プログラム」
山頂から拝む日の出や、夕焼けの風景は万人に共通して美しいと思えます。
わたしは時代や空間を超えてこの「ヒト規格の共通認識」に
ドキドキします。
年齢、性別、宗教、あらゆる価値観を超えて
ヒトが持つ「共有認識」はどこまで探れるのか
わたしのテーマとして留めておきたい。
***
この「共通認識」を操作してくるのが、
メディアだったり、インターネットだったり、
政治家だったりするんだろうな、と思いました。
それがル・ボンが『群集心理』でいいたかったことでしょうね。
Amazon.co.jp
ル・ボン『群集心理』
コメント