マルクス・ガブリエル著『なぜ世界は存在しないのか』「意味の場」についてPart2

読書感想

前回は、

「対象」は1つなのに、見え方(イメージ)は複数ある。

それは、

「対象」はイメージを結び付ける力を持つことを意味します。

それが、マルクス・ガブリエルが提唱する「意味の場」です。

という所まで述べました。

今回は、その続きです。

「意味の場」を応用して、「人」に当てはめてみましょう。

「私」は存在しない

「私」という、唯一絶対の、固定的で普遍的なイメージは存在しません。

どういうことか、説明します。

このブログを書いている私は、

親からすれば、息子です。

友達からすれば、友達です。

職場の人たちからすれば、部下、同僚、後輩です。

この記事を読んでいる読者さまからすれば、ブロガーです。

ここまでくれば唯一絶対の「私」という存在はないことがわかるかと思います。

そのとき、その場所で、人と人に結び目ができることで、

関係性が生まれ、「私というイメージが成り立っている」のです。

「私」がないことはむなしいことではなく、
何にでもなれる無限の可能性を秘めています。

私が人を殺せば、殺人犯、犯罪者になれます。
世界、人類に役立つことを発見、発信すればノーベル賞受賞者にもなれます。

若い頃は誰だって「私ってなんだろう」と疑問に思い
「自分探し」をしてみるものです。

しかし、

「私」は他者のイメージの中にしかありません。

つまり、

「人」は、自分の力で生きているわけではなく、
人に、生かされている存在だといえます。

複数のイメージがあるのなら

複数のイメージがあるのなら、
どういう見え方があるのかを
学ばなければいけません。

哲学者ガダマーの名言に

「相手が正しい可能性はある」というものがあります。

これはごくシンプルな、倫理の最小単位です。

相手の視点や、感情を含めて考慮する。

他者の視点に立ってみることで、

学ぶことが増え、自分の視野が広がるのです。

【幸福のヒント】

人の数だけ物事の捉え方がある。

相手の視点や感情を考慮することで、学びが増え、視野が広がる。

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