「そんな努力を積み重ねてもムダですよ。」
そう言われてムカッときた人は、もしかしたら注意が必要かもしれません。
危険な「努力教」の「努力信者」による「努力信仰」
「努力」をすると内側頭前頭前野が活性化します。 これにより「努力している自分は素晴らしい!」と、 喜びを覚え、それに伴い報酬系が発動し、快感を覚えます。
がむしゃらにガンバると、「体力」と「精神」が削られ、「思考力」が低下します。
さらに、「努力」すると倫理観が失われるという研究データもあります。
例えば、 ダイエット中なのに、
「今日はたくさん走ったからケーキくらい食べてもいいや」
だとか
環境問題について作文を書いたあと、
その後の討論では汚い口調で相手を罵るという研究データがあります。
「良い行いをした」
「自分はこれくらいガンバッタ」
「自分はこれくらいガマンした」
という名の「努力」をしたのだから、
これくらいのことをしてもバチは当たらないだろう、
という反動が来るんですね。
なんらかの「努力」をしたというのは自己満足にしかなりません。
自分の目的達成のための「努力」こそ必要なのです。
がむしゃらにガンバって、
「努力」すればなんとかなる。
「努力」すれば必ず報われる。
こういった 「努力教」の「努力信者」による「努力信仰」は
自ら人間性を放棄する行為だったのです。
「努力は快感」×「努力したから報われる」×「頑張ってる自分は素晴らしい」
このコンボはとてつもない破壊力になります(自分にとって)。
向かう先は破滅か、悪いひとたちに搾取されるかです。
本書は、 脳科学的に「正しい努力とは何か」をさぐり、
さらに社会問題にまで切り込むという
奥深い良書です。
「正しい努力とは何か」を探りつつ、
では実際どうするか、についても書かれています。
例えば、「才能」を見つけるというところです。
「才能はあなたに与えられたカード」と言います。
才能という名の勝負札で人生を進むというわけですね。
ただ、この「才能」の見つけ方については
私には少々ページが物足りなかったので、
ケン・ロビンソン著『才能を磨く』を手に取りました。
現在、自分の「才能」を探す旅の途中です。
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