絶望に抗う時、人に力を呼ぶ。
ペストという災厄に襲われる中でも、
その絶望に立ち向かう人たちがいました。
医師のリウーは、
自分の行動理念は
自分の職務をまっとうする
誠実さだといいます。
凡庸な小役人グランは、
保険隊に志願することで
使命感に目覚めます。
新聞記者のタルーは、
自分の倫理観で保険隊に志願します。
この状況下で自分ができることをする。
そしてこの状況下を理解していくことが
自分を突き動かす原動力になっているといいます。
ヒーローイズムか? という批判
彼らはヒーローになりたくて
自ら危険な場所に向かい
仕事をこなすのか、
という揶揄が
作中飛び出します。
上記の通り、
彼らを突き動かすのは
ヒロイズムではなく、
使命感と、絶望に抗う時に呼び起こされる力です。
どんな時に抗い、どんな時に抗わないのか
絶望の中で、抗う時、
人に力を呼ぶ。
「抗いは力」なのか?
という疑問が湧いてきます。
例えば、職場や学校で、
自分を嫌う人間がいたとして
その人に抗うことで生まれる力は
正しいことなのでしょうか。
人はこの世の全ての人間と
仲良くやれるわけではありません。
ましてや、偶然同じ職場や学校となった
人たち全員とウマがあい、
仲良くなるなんて
宝くじを当てる確率より低い。
「人間関係1:2:7の法則」というものもあります。
ウマが合わない人間のことは
ほおっておいたほうがいいのです。
必要かつ最低限のコミュニケーションができたら、
それでOK
その人に対して無理に力を注ぐのは
エネルギーと時間がもったいない。
力を注いだからといって
相手が変わるかどうかは
相手次第なので、
徒労に終わることだってあります。
人間関係でなく、健康意識についても言えます。
かつて出来たことができないと嘆きながら
抗い続けるより、
今の自分を認めて、
今自分にできることを
するほうがよいです。
絶望した者、
生きがいを失った者、
メンタル疾患の方が持つ
底知れぬエネルギー(情熱や力や集中力)が
芸術や創作活動で花開くことがあります。
これはエネルギーの方向性があっているような
気がします。
人はどのようなときに、
「抗いの力」を使うべきか、
書きながら少し、見え始めました。
道徳や、倫理、使命感、生きがい
そして抗ったときに呼び起こされる力の
使い道にヒントがありそうです。
(次回に続きます。)
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