カント『純粋理性批判』Part3 (あの世はある?ない?)

読書感想

前回まで

人は何を知ることができて、何を知ることができないかを
解き明かしたのが『純粋理性批判』です。

人は共通認識のプログラムを持っているので
自然科学や数学はみんなが共有でき、
信頼できる知識だと立証しました。

では、

人は何を知りえないのでしょうか?

アンチノミー(肯定側の主張も否定側の主張も成立する問い)

宇宙は無限でしょうか? 有限でしょうか?

神は存在するのでしょうか?

あの世はあるのでしょうか?ないのでしょうか?

ここで思い出しておきたいのが、前回までの話で、
人は、人に備わっている共通認識プログラム範疇のことは理解できるが、
その範疇をこえた問いには答えはない!

というのがカントの主張です。

ざっくり言うと、

私たちが認識できる世界を「この世」と呼んでいて

認識できない、想像の世界のことを「あの世」と呼んでいるのです。

しかし、人はなぜ、このような答えのない問いを求めるのでしょうか?

人は答えが出ない問いまで生み出してしまう

なぜ、 人は答えのない問いを求めるのでしょうか?

カントは「理性」が鍵を握るといいます。

理性の関心 ① 「完全性を求める」

これは、この世の全てに因果律、原因と結果があり、

全部たどって完結して完璧だというものです。

理性の関心② 「真理を追究する」

① に対して、「でもそれって本当なのかなぁ?」と、

また、問い直したくなるというものです。

人間の中に「理性」があるのでそういうこと(アンチノミー)を考えてしまうのですね。

子どもは際限なく疑問に思ったことを質問してきます。
それが「理性」ゆえ、というわけです。

カントは自然科学が好きだったので、
自然科学が重要だと思っています。

すべてが自然科学の法則で決定されていれば
人間に自由はありません。

それでも「自由意志」もちゃんとあると言いたかったようです。

・人間は因果律に縛られている

・人間にも自由はある

どうやって決定論(因果律)と自由が成立するのか

究極を知りたくなる、

それは、人間の中に「理性」があるので
そういうことを考えてしまうのです。

この話は「どうやって人は生きるか?」

生き方の問題の方で人間の理性の特質が発揮される、

という話に続きます。

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