前回まで
人は何を知ることができて、何を知ることができないかを
解き明かしたのが『純粋理性批判』です。
人は共通認識のプログラムを持っているので
自然科学や数学はみんなが共有でき、
信頼できる知識だと立証しました。
では、
人は何を知りえないのでしょうか?
アンチノミー(肯定側の主張も否定側の主張も成立する問い)
宇宙は無限でしょうか? 有限でしょうか?
神は存在するのでしょうか?
あの世はあるのでしょうか?ないのでしょうか?
ここで思い出しておきたいのが、前回までの話で、
人は、人に備わっている共通認識プログラム範疇のことは理解できるが、
その範疇をこえた問いには答えはない!
というのがカントの主張です。
ざっくり言うと、
私たちが認識できる世界を「この世」と呼んでいて
認識できない、想像の世界のことを「あの世」と呼んでいるのです。
しかし、人はなぜ、このような答えのない問いを求めるのでしょうか?
人は答えが出ない問いまで生み出してしまう
なぜ、 人は答えのない問いを求めるのでしょうか?
カントは「理性」が鍵を握るといいます。
理性の関心 ① 「完全性を求める」
これは、この世の全てに因果律、原因と結果があり、
全部たどって完結して完璧だというものです。
理性の関心② 「真理を追究する」
① に対して、「でもそれって本当なのかなぁ?」と、
また、問い直したくなるというものです。
人間の中に「理性」があるのでそういうこと(アンチノミー)を考えてしまうのですね。
子どもは際限なく疑問に思ったことを質問してきます。
それが「理性」ゆえ、というわけです。
カントは自然科学が好きだったので、
自然科学が重要だと思っています。
すべてが自然科学の法則で決定されていれば
人間に自由はありません。
それでも「自由意志」もちゃんとあると言いたかったようです。
・人間は因果律に縛られている
・人間にも自由はある
どうやって決定論(因果律)と自由が成立するのか
究極を知りたくなる、
それは、人間の中に「理性」があるので
そういうことを考えてしまうのです。
この話は「どうやって人は生きるか?」
生き方の問題の方で人間の理性の特質が発揮される、
という話に続きます。
コメント