【芥川賞候補作】今村夏子 著『あひる』短編小説 オススメ

読書感想

今村夏子著 『あひる』

全144ページ、3つの物語が収録された短編集です。

表題作『あひる』のあらすじ

ある日、父は職場の同僚から、「あひる」を譲り受け、
自宅の庭で飼い始めることになる。

すると、
近所のこどもが、見物にくるようになり、
「あひる」の愛らしさに魅了されます。
たちまち評判となり、絶えず見物客が訪れるようになります。

しばらくして、
「あひる」が体調を崩し、入院することに。
なんとか治療を終え、戻ってきた「あひる」は、
あきらかに以前の「あひる」とは別の「あひる」でした。

感想

読了後「きょとん」としてしまった。

この「きょとん」を分解すると

・もう終わり?
・なんだこれは?
・フシギなキモチにさせられた
・あっけない
・“小説なんだから” もっと “何か” あっていいだろう!?

になる。

もっと “何か” あっていいだろう!?の “何か” とは、
事件、事故、物語の抑揚のことである。

しかし、
この小説の中身が無い、というわけではない。

本なのだから、
芥川賞候補作なのだから、
小説なのだから、

という、固定観念、常識、前提条件、
色眼鏡を通して読んでいた
自分が悪いのだ。

つかみそこねた読者の1人として

読了後、ネットで、たくさんの感想や、考察記事を読んだ。

中には、「なるほど!そういうことだったのか!」と、
納得するものもあった。

中には、「何も共感するところがなかった」
という感想もあった。

私もつかみそこねた読者の1人として、
この感想は否定しきれない。

しかし、

私は、「共感」することをあきらめたくない。
なぜなら「共感」こそが、人が幸福になるために
不可欠なものと信じているからだ。

人は支え合い、助け合って、生きていく、社会的な動物である。

「共感」することで、人の気持ちがわかり、
痛みや、悲しみ、苦しみ、に寄り添うことができる。

だからこそ、
感じ取れなかった自分に、
先入観を持って読んでいた自分に、悔しさをおぼえる。

つまり、
私は、感じ取る「センサー」が、まだまだ鈍かったのだ。

つかみそこねた読者の1人として、
人の心に、物語に、自分の心に、反応する
センサーの感度をあげていきたい。


繰り返しになるが、
この小説に中身がないわけではない。

私の心におとずれた、「フシギなキモチ」を、言語化できないだけである。

かろうじて言語化できる部分だけ抽出すると、

・ざわざわする
・ノスタルジー
・子どものころ、こんな体験が、自分にもあったかもしれない。
・大人なら理屈で片づけられるかもしれないことを、
 子どもは不思議なできごととして、抱えこんでしまう。

になる。

このフシギなキモチを、是非、体験して欲しい。

読書の秋に、オススメしたい、一冊です。

Bitly

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