カント『純粋理性批判』Part4 (本当の自由とはなにか?)

読書感想

これまで(カント以前)の哲学は究極の真理を追究してきたものです。

「カント」が目指したのは、究極の生き方を追求する「哲学」です。

「実践理性」

実践理性とは、

「究極の道徳的世界を思い描き

それにふさわしい最高の生き方を命じること」

です。


たとえば、

「眠いから眠る」

「急ぐから走る」

「疲れたから座る」

「お腹が空いたから食べる」

カント曰くこの行動に「自由」はありません。

原因と結果の因果律に縛られているからです。

「自由意志によって欲望を抑えることが因果律から解放された自由な生き方」

と、説きます。


「電車で座っていたとき、目の前に老人が座っていた。

老人が立ちっぱなしでかわいそうだから席を譲ろう」

カント曰く、これも同じ理由で「道徳的価値」がありません。

「道徳的に生きることが自由であり、それが最高の生き方である」

「権威や伝統が定めた正しいことを無批判に受け入れることは道徳的価値なし」

このあたり、ル・ボンの『群集心理』につながるところがありますね。

「道徳的価値」とは

カントは、

「これは正しいことだ」と自分で選択することに道徳的価値があり

本当の自由がある」

と、説きます。

道徳的価値とは

「人の幸福につながることか?」

「自分の成長につながることか?」

という問いに対する答えを自分で考えて、選択し、行動することです。

そのとき、非常に納得した人生を送れる

と、カントはいいます。

カントの言う「自由」とは

例えば、

テレビでお医者さんが「マスクしましょう」といってたことを

何も考えずにマスクすることに自由はありません。

因果律に縛られて、無批判に権威者のいうことを受け入れてしまってますからね。

カント曰く

「汝の意思の採用するルール(格律)が

つねに同時に普遍的立法の原理としても 妥当するように行動せよ」

つまり、

それは、自分で考えての行動か?

それは、自分の成長につながるか?

それは、相手の幸福につながるか?

そしてあなたの行動は、社会の立法と照らし合わせてどうか?

ということですね。

以前、

堀江貴文さんが、「貧乏は不幸じゃない、他人が貧乏は不幸だと決めつけている」

といっていたことを思い出しました。

福祉や支援を考えるときに、こちら側の勝手な決めつけではなく、

本当に相手が必要としていることはなにか、

相手の幸福とはなにか、を考えて行動すること大切ということですね。

カントのいう「実践理性」では、

・自分の成長につながるか

・相手の幸福になるか

が重要になってきます。

カントは、頭上の星空の輝きと、

それと同じくらい人の心のうちに道徳法則があることに感動する。

(畏敬の念をもって心を満たす)

という言葉も残しています。

カントは人間に備わっている道徳法則に輝く星空のような美しさを感じていたのですね。

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