本書は、社会学の名著です。
しかし、それまでの経済中心主義とは異なる、
「文化のエコノミーを問う」がテーマとなっています。
※ 文化のエコノミー → 個人的な趣味と社会階級との結びつき
個人の趣味との出会いは、雷に打たれた偶然の衝撃ではない?
わたしはロックバンド筋肉少女帯が好きです。
はじめて聴いたとき、雷に打たれたかのような衝撃がありました。
そして、それ以来とりこになりました。
しかし、
ブルデューによると、
この個人の趣味と「偶然の出会い」を否定します。
ブルデュー曰く
「あらゆる文化的慣習行動には、
(美術館に通う、コンサートに通う、展覧会に行く、読書をする等々)
経済環境や、階級・学歴と相関がある。
趣味・嗜好と出会う客観的なチャンスは社会構造が決めている。」
と言います(!)
つまり、
わたしがロックバンド筋肉少女帯と出会ったのは
まったくの偶然ではなく、
私の生まれ育った環境によってできた文化を理解するという素地や、
経済環境、階級、学歴によって規定されたものだというのです。
偶然ではなく、決まっていたことだ・・・といわれると
運命的な出会いを感じていたのにロマンチックさが消えてうせて、
不自由を感じますねぇ。。。
ハビトゥス(=傾向性)
「ハビトゥス」とは、ブルデューが生み出した概念です。
人々の行動にある、統一性を「ハビトゥス」といいます。
わたしたち人間は、1人1人、唯一無二の人生を歩んでいます。
趣味・嗜好の選択から、
進学、就職などの人生の分かれ道の選択は、
完全なオリジナルにみえますが、
俯瞰してみると、
人々の行動は完全なランダム、バラバラではなく、
統一性があるとブルデューはいうのです。
人生は不自由?
何かここまで読んで不自由さや窮屈さを感じませんか?
私もです。
しかし、
ブルデューは、
「重力の法則があるから飛べる」
という言葉を残しています。
「社会に規定されて生きていることを知る、
というところからしか、自由は生まれない。」
という意味です。
たとえば、
お腹が減ったからレストランに入って、食欲を満たし、
お金を払わずに店を出る。
これは自由ではありません。
人は社会に生き、ルールがあり、それを守って生きているからこそ
自由があるのです。
ブルデューの論をかりて付け加えるなら
「無銭飲食をする人」たちも俯瞰してみれば、
ハビトゥス(=傾向性)があるということです!
(※ 続きます。)
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