【本の要約・気づき】『善の研究』西田幾多郎 ――レッテルを貼る人は世界を小さく切り刻んでいる

読書感想

西田は愛する妻子との死別から、

哲学することで

(させられたともいえます。)

ある矛盾に気が付きます。

絶対矛盾的自己同一



確かに愛する者は亡くなってしまった。

しかし、そこから哲学することで、

同じ哀しみを背負った他者と繋がったり、

自身の哲学を深めることができた。

人生の歩みを進めることができた。


すなわち、

「死」=「終わり」

ではなく、

始まりのきっかけになっている



という矛盾に気がついたのです。



一見、異なるものも、

そのままで、ひとつ “に なること。



一見ことなるものも、

そのままで、ひとつ “であること。

西田はこれを、

「絶対矛盾的自己同一」

定義しました。



「絶対矛盾的自己同一」の例を

いくつかみてます。




絶対矛盾的自己同一 の例 ① 「善と悪」

ある物事は、

ある人からみれば「善」

ある人からみれば「悪」

と、

個人の主観や、はからいで

物事を切り分けてしまっています。

元々「一つ」であった「物事」を切り分けたのは個人の主観やはからいである。

しかし、

もともとは一つの「物事」です。

絶対矛盾的自己同一 の例 ② 「私と人類」

私たちは「個」でありながら、

「人類」の一部です。



私という「個」が存在していながら

「私」は、私一人で生きていません。



色んな人と関わり合いながら

他者に生かされながら生きています。



その意味において、

私という「個」は、

「人類全体」と「一つ」に

つながっています。

私と他人は違う存在ですが、

同じいのちを持つ人間として

切り分けられない不可分な存在です。

普段は見えないかもしれませんが、

つながっています。




絶対矛盾的自己同一の例 ③ 「過去、現在、未来」

「現在」は、

「現在」単独で存在しているわけではありません。

「過去」と「未来」と密接に関りあっています。




次回も、いくつか「絶対矛盾的自己同一」について

例を挙げてみたいと思います。




善の研究 (岩波文庫)
真の実在とは何か、善とは何か、宗教とは、神とは何か――。主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎(1870-1945)。東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組自体をも考察対象とした...

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