人種差別で分断された社会で進むべき道
人種差別問題で苦悩するファノンは
一つの結論にたどり着きます。
人間とは一つのウイである。
※ ウイ=フランス語でイエス
生きること、愛すること、高邁な精神を持つこと
※ 高邁(こうまい)=気高くあること
人間とは、ただ生きている、それだけで
肯定されるべき存在だとし、
そして、
人間が搾取されているときはノンを突きつけることができる。
と、言います。
ファノンは黒人差別、
黒人奴隷を目の当たりにして
生きてきました。
そんなファノンが辿り着いた結論とは、
そもそも人間とは、皮膚の色にとらわれず、
個々と向き合い、認め合うことが大切である。
ということです。
これは理想論ではありますが、
実際にどうすべきかは非常に難しいことです。
ファノンの真意、本書を読む意義は
どこにあるというのでしょうか。
日常で目の当たりにする差別
視界に入っても、真剣には考えない。
日常でもたくさん差別はあります。
たとえば、ホームレス、外国人技能実習生、
性別不一致、家庭、職場、学校でしいたげられている人たち――
ちらっと視界にはうつるものの、
真剣に考えたりはしません。
ファノンは一つの理念、理想に向かって
考える続けることの重要性を
本書で訴えています。
考えることをやめる → あきらめること
考えることをやめることは、あきらめるということです。
もしくは、問題解決の答えた出た、ということになります。
しかし、かんたんにあきらめてしまっては、問題は解決しません。
差別や不平等は放置されたままです。
また、安易に「この問題の答えは出た!」と結論づけると、
そこで思考はストップしていまいます。
たとえば、性別不一致の人に対して、
どういう言葉をかけると傷つくのか
どういう風に接するのがいいのか、
かんたんに結論が出る問題ではありません。
繰り返しになりますが、
考え続けることこそが重要なのです。
人種差別の問題に、答えは出てきません。
だからこそ、ずっと考えなくちゃいけない
そういう気づきを得たことと、
人種差別問題に対して繊細になれたことが
本書を読む意義だと思いました。
最後に、ファノンの言葉で締めくくりたいと思います。
「私の最後の祈り、おお、私の身体よ、
いつまでも私を、問い続ける人間たらしめよ!」
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