100分de名著『資本論』をもとに考えや気づきを述べます。
「資本主義」の成れの果て、ブルシット・ジョブとは
ブルシット・ジョブとは、無意味でやりがいのない、
やればやるほど苦痛を感じる仕事のことをいいます。
これは、マルクスの「資本論」で言う、資本主義社会の成れの果てで生まれた仕事です。
「労働」とは、「構想」+「実行」が本来の仕事の姿である。
「労働」とは、「構想」+「実行」が一体になったものが本来の姿です。
職人仕事だとイメージしやすいです。
まず、デザイン、耐久性、機能性を「構想」し、
熟練した技能を以ってそれを「実行」します。
しかし、資本家は「安く」「大量」に生産したいので、
職人の技術を必要としないレベルにまで分業し、
人をベルトコンベアーの一部分にはめ込みます。
これでは技術の習熟もありませんし、労働の歓びも感じられません。
これでは人間の豊かさや、可能性も潰してしまいます。
(もちろん、このような仕事が気に入っている人は別として。)
「この仕事は何の為にやっているんだろう?」
「こんなことをしていて何の役に立つのだろう?」
最初は疑問を持っていたとしても、徐々にそのことに慣れてしまい
思考を停止させます。
機械化・効率化が進むと、労働者はタイミングに合わせて
オン・オフのスイッチを押すだけです。
確かにこれはブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)
といえます。
「気づき」や「疑問」を持つ
今の仕事でやりがいが見いだせなかったとしても、
余暇を楽しみ、生き甲斐を見出すことでバランスをととのえたり、
自分の特技、特性、性格にあった趣味に没頭したり、といったことはできます。
わたしは読書から「気づき」を得て、
日常に「疑問」を持つことを忘れないようにし、
たとえ苦痛を感じる仕事から抜け出せなかったとしても
思考することをやめないようにしよう、と改めて思いました。
(次回に続きます。)
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