阪神・淡路大震災から27年 (新たな天災は忘れた頃にやってくる)――寺田寅彦著『天災と日本人』

読書感想

阪神・淡路大震災から、きょう1月17日で27年です。
27年前の1995年、午前5時46分、大地震により神戸市や淡路島などが大変な被害を受けました。

寺田寅彦著 『天災と日本人』 から
あらためて自然と人間について
考えてみたいと思います。

「科学」が発展すると、人はもろくなる。

文明が進むにしたがって、
人間は次第に、自然を、征服しようという
野心が、生じます。

数十年前では、ありえなかった、科学的な解決法方法で、
本来建つところないところに、建築物ができたり、

自然のエネルギー法則に逆らってでも
人が便益が得られるようなものが出てきました。

近年のめざましい、科学の進歩は、

人間が、自然を、人間の都合のいいように、見て来たもの、と言えます。

そのように人が、自然をコントロールできるようになったと錯覚した頃に
足元をすくうような天災が起こり、甚大な被害をもたらします。

そのことを寺田は本書の中で危惧し、訴えていたのだと思います。

被害が起きた地域では、急速に、何事もなかったかのように、復興が進みます。

この「元に戻る」ときに、もう一度、

なぜ、「戻ろう」とするのか

どのように、「戻る」のか、

私たちは、どうしたら、持続的に生きていくことができるのか、

私たちからみたら、新しい世の中はどうあるべきなのか、

立ち止まって、考えなければいけませんね。

「自然の時間軸」と、「人間の時間軸」は違う。

阪神・淡路大震災から27年経過しました。

27年といえば、

人間なら、世代が1つ変わるほどの時間軸を持っていますが、

自然なら、昨日のようなものです。(いや、10分前くらいのことかも。)

27年は日数にすると、「9,862日」

私があの脅威を忘れいたとすると、

9,862回も改める機会を逃しているといえます。

今日はそんな認識を改める日です。

自然と人間の在り方

めざましい科学の進歩によって錯覚してしまいそうになりますが、
いつの間にか「自然」を、「自然」と「人」という
二項対立で考えてしまいます。

人間は自然と対抗するべきものではなく、
自然の中に私たちがいるものです。

個人の便益という考え(目先だけ便利に暮らしていればいいやという考え)から、

「私たちが自然と対話しながら、持続的に生きていく」、

という風に、認識を改めなければいけませんね。

錯覚や、盲信、意識の欠如、慣れ・・・、

このような、

天災は、忘れた頃に、やってくるからです。


参考文献:寺田寅彦著『天災と日本人』

Bitly

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