今から27年前 1995年 1月17日 午前5時46分
大地震により神戸市や淡路島などが大変な被害を受けました。
そこで、柳田国男 著『先祖の話』を参考文献に、
日本人の持つ、死者と生者関係性について書いていきたいと思います。
日本人がどう死者と向き合ってきたか、これからどう向き合えばいいのか
本書で柳田国男は、あえてことばにならないことを言語化し、
常民の常識(どこにも書いていない、しかし、みんなで大事に守っているもの)
を解き明かそうとしました。
柳田国男は、
日本人はずっと、
「死者は目に見えなくてもそばにいるもの」
として、認識していた、といいます。
確かに、私にも思い当たる節があります。
私は無神論者ですが、なぜか、
死んだ人 = 無 = それで終わり、
のような認識にはなっていません。
亡くなった祖母に関して言えば、ずっと心の中にいて、
不摂生をしそうなとき、
価値観が迷いそうになったとき、
ふと、祖母の顔を思い出し、
もし、祖母だったら、
もし、祖母がみていたら、
といった、「交流」や「対話」が始まり、
正してくれることがあります。
死者の仕事は生者を守ること
「死者の仕事は生者を守ること」これも柳田国男が残した言葉です。
私の祖母に関していえば、
3男3女の子を産みましたが、
いまだ、全員の仲が良いです。
祖母が亡くなったときの遺産相続でも争いは起きませんでしたし、
日頃から助け合っています。
そして、いまや、孫、ひ孫を合わせると、
50人以上にまで栄えています。
これは、
みんなが、
祖母が亡くっても、
墓に閉じ込めるわけでもなく、
それぞれに祖母のことを感じて、
律するような心があったからだと思います。
このように感じるのは、祖母は生前から人格者として、
子どもたちに規律規範を示し、子どもを立派に育てあげたからでしょう。
ゆえに、
亡くなってからも、敬われる「ご先祖さま」になっているのだと思います。
そして、
父や母が祖母を敬うので、
その背中を見た子ども、孫もまた、
自然と敬う気持ちが芽生え、家系を支えるのでしょう。
祖母は(死者は)、目に見えない、耳に聞こえない、
しかし、
私たちの胸に訴えかけてきてくれる存在です。
心の耳に沈黙として聞こえてくる存在です。
この記事を書きながらでも身が引き締まる思いがします。
目に見えないからこそ、確かだといえる世界がある
震災で、は多くの人が、突然、大切な人を亡くしました。
悲しみから立ち直れない場合について、
批評家の若松英輔先生はこのように語ります。
「悲しみは「乗り越えていく」ものと語られがちですが、
悲しみは「深めて」いくものだと思います。」
「かなしい」にはいろんな字があてられます。
たとえば、
「愛」
「愛しい(かなしい)」というあてかたもあります。
「本当に悲しいと思うのであれば、あなたがそれを愛したからです。」
大切な人を亡くした、痛み、悲痛という経験が、
愛に変わっていくと捉え直すことができます。
阪神淡路大震災では、6,434人の尊い命が犠牲になりました。
しかし、この数字では見ることのできない、
大きな悲しみを背負った人たちがいます。
私たちは、
世の中には、
悲しんでいる人がたくさんいる、
ということが、分かってくる、
そのような心の持ちようがあります。
大きな悲しみを背負ったが、
悲しみを深めるが故に、
愛を生む人が増えたともいえます。
そして、
このように認識できたなら、
自然と、支援、助け、何ができることがないだろうか、
といったことが、見えてきます。。
参考文献:若松英輔 著 『魂にふれる——大震災と、生きている死者 【増補新版】』
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