子どもは「母性」と「父性」の影響を受けて育ちます。
「母性」とは、
包みこむやさしさ、愛情ですが、
「母性」が行き過ぎると子どもを飲みこみます。(マザコン化、ひきこもり、一人立ちできない)
「父性」とは、
規律を教える、規範を示す、厳しい態度ですが、
「父性」が欠如すると、子どもは善悪の判断がつかない、または子どもの精神が無気力化します。
したがって、
成長期の子どもにとって、「母性」と「父性」は、多大なる影響を受けているのです。
「母性」と「父性」の観点から、
湊かなえ著『告白』に出てくる重要人物、
「修哉」と「直樹」について分析、考察していきます。
前回は「修哉」について書きました。
今回は「直樹」について書きます。
これより先、ネタバレありです。
直樹
直樹はクラスでも陰気な存在です。
修哉に歩み寄られてから、
修哉には心を開くようになります。
しかし、修哉は友達になりたかったわけではありません。
犯罪者になり、有名になりたかっただけでした。
直樹をそそのかし、犯罪計画に加担させます。
森口先生の娘殺害計画は、大詰めの所で誤りを見せます。
修哉は直樹を「お前は出来損ないだ」とののしり、突き放します。
この一言により、
直樹は独断でさらなる凶行に及び、
森口先生の娘を殺してしまいます。
直樹の母 下村 優子の強すぎる「母性」
息子を溺愛するあまり、必死に守ろうとします。
事件を事故だと思い込み、
息子は悪い友達にそそのかされただけだ、と信じきっています。
森口先生との面談でも亡くなった先生の娘に対してではなく、
息子に対して「かわいそうに、かわいそうに・・・」と優しく手を握ります。
もし仮に、悪友のせいだとしても、犯罪行為には違いありません。
直樹の母 優子の「母性」は、優しさや、愛情の範囲を大きく超えています。
下村家は「父性」不在
直樹の父は仕事人間で、作中一度も出てきません。
「父性」とは規律を教え、規範を示し、
厳しい態度をとるものです。
もし、父性が機能する父親が居れば、
物事の善悪をしっかりと教え、
あやまちを犯したときは、けじめをつけるように促していたでしょう。
直樹の人格
直樹はこのような「母性」と「父性」の影響を受けています。
直樹には罪を告白し、懺悔するという選択肢もあったはずです。
母 優子の「母性」に飲みこまれ、「父性」不在のため、けじめをつけられず、
自身も母に甘えてしまっているのです。
そもそも、きちんとした「父性」が働いていれば、
子どもに善悪の判断能力がそなわるので、
修哉の犯罪計画に、「ノー」を突きつけられていたはずです。
このように、「母性」と「父性」に注目すると、
より映画を深く考察できるようになります。
是非、この観点から物語作品に触れてみて下さい。
参考文献:「父性」について映画、アニメ作品を考察する作品評論の名著
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