「空」ってなんだろう(維摩経)

雑記

大乗仏教の教典、「維摩経」を読みました。
特に印象的だった内容を書き留めておきます。

「空」=区別しない

「空」とは無分別のことです。

維摩曰く、

「空」は認識したり思考したりすることはできません。

 認識すること自体が「空」ということにならなければ、

 無分別とは言えないからです」

すべては関係性によって成立しています。
あらゆる現象、存在は固定的ではなく実体はありません。

裏を返せば、
あらゆるものごとに原因、答え、真理、があると錯覚してしまうと、

その、特定のものにしがみついてしまいます。

たとえば、私は幸せになるためのヒントが、
読書の中にあると思って読書しています。

あるとき、幸せになるための答えをみつけて、
それに固執してしまうと、

それにばかりこだわってしまったり、
それ以外の異論を排除しようとしたり、怒りを覚えたりします。

もし、本の内容が間違っていたら私は足元をすくわれることになります。

そうではなく、

区別なく見ていこうというのが「空」です。

これこそが「空」なんだー!ととらわれてしまうことを
「空病」というそうです。

面白いですねえ笑

「維摩経」より

「空」に固定的な実体はない!

文殊菩薩「病気にかかっている人自身は、

どういう心構えでいきればよいのでしょう」

この問いに対し維摩は、

「自分と言うものにしがみついてはいけません。

私たちの身体は要素が集合したものに過ぎず、

しかもすべては

刻々と変化し続けています。

自分というものは、

いつまでもあるような錯覚に陥りがちですが、

それこそが“執着”であり、

苦悩の源となっているのです。

そう、本当は、変わらないもの、唯一絶対のもの、

ただひとつで

存在するものなどないのです。

これを「空」というのです。」

私たちは生まれた限り、刻々と死につつある
生と死の連続体です。

そのように生命や世界を捉えると
自分にしがみつく心が弱まり
苦しみが低減する、という考え方です。

自分にしがみつくことってよくあると思います。
例えば学校とか職場とかで、何か意見をいうときに

「間違ったらどうしよう」「恥ずかしい思いをしたらどうしよう」

という「自分」の見栄が働いたり、

同じ映画を観て、解釈が違っていたら「自分」というものがジャマして
ぶつかってしまったりといったことはあるあるだと思います。

ネットをみていると「自分」にしがみついている人だらけではないでしょうか。
私も人のことを言えませんケド・・・。

『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)
『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著)

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