『高慢と偏見』
18世紀末から19世紀初頭のイギリスの片田舎を舞台として、女性の結婚事情と、誤解と偏見から起こる恋のすれ違いを描いた恋愛小説。精緻を極めた人物描写と軽妙なストーリー展開により、オースティン作品の傑作とされる。
(Wikipediaより)
認知のゆがみはどこからくるか
主人公の女性エリザベスは5人姉妹です。
とりえがなく、容姿も抜群にいいわけではなく
母親からもあまり愛されてはいませんでした。
そういった環境から、自己肯定感が低く
「成りあがりたい」気持ちが強くあったと推測できます。
この自分の思考の土台を心理学で「スキーマ」と呼びます。
この「スキーマ」により、自動思考が働きます。
例えば、「自分は嫌われている」というスキーマがあったとして、
自分から挨拶をして相手から返事がなかったとします。
すると「無視された!」と<自動的に>思考が働きます。
本当は聴こえてなかっただけかもしれません。
ここで「認知のゆがみ」が発生します。
本書の主人公の女性 エリザベス は、自分のスキーマから
上流階級のダーシーに対して「偏見」を抱き、
認知のゆがみから反感を買うようになります。
本書はエリザベスとダーシーの恋物語なのですが、
エリザベスとダーシーの出会いは最悪で
エリザベスは悪い印象しか持っていません。
エリザベスのセリフ
「最初にお会いした瞬間から
あなたの態度を見て、高慢でうぬぼれが強くて、
他人の気持ちを踏みにじるような、
自分本位な人だという印象を受けました」
(この部分は考えたくないのに考えてしまう、シロクマ実験に通じるかもしれません。)
「恋愛」はじっくりものごとを考えて判断する機能を低下させる
脳には、
瞬時にものごとを考えて判断する領域と、
じっくりものごとを考えて判断する領域の2つがあります。
じっくりものごとを考えて判断する領域は背外側前頭皮質(DLPFC)
と呼ばれています。
中野信子著『あなたの脳のしつけ方』によると、
睡眠不足、お酒を飲んでいる時、そして恋愛をしている時
背外側前頭皮質(DLPFC) の領域をにぶらせるといいます。
本書では主人公エリザベスが恋愛や偏見により、
冷静な判断ができていない部分がたくさんでてきます。
それを説明調ではなく、自然な会話のやりとりや
情景描写で表現しているところが素晴らしいです!
自分と似た人を嫌う
中野信子著『「嫌いっ!」の運用』によると、
片付けができない、遅刻する、動作が遅い、嘘をつく・・・、などなど
相手の嫌いな部分をよくよく冷静に見つめると
自分の嫌いな部分と同じだったりします。
なぜ、自分と同じ欠点がある人を嫌うのかには
「自分の中にある欠点が許せないから、相手の欠点も許せない」
「自分と同じような欠点があるのに、なぜ相手は罰を受けないのか」
この2パターンあります。
主人公の女性エリザベスとダーシーが舞踏会で
お互いに皮肉の応酬をするシーンがあります。
それは「偏見」に満ちています。
これは自身の「スキーマ」に同じ部分があり、
そこが共鳴しているからこそ「偏見」を持ってしまい、
皮肉合戦をしてしまうのでしょう。
人は自分に危害を加えるひとも嫌いますが、
自分と似ている人も嫌うのですね。
私の「スキーマ」と「認知のゆがみ」
わたしは「恋愛モノ」というジャンルが苦手で
特にそういったジャンルの映画やドラマを直視できません。
映画の予告編を観ただけで、目を背けたくなったり、
もぞがゆさ、グロいものを見ているような気持ち悪さを感じます。
そこには、恋愛でうまくいかなかった、恋愛に自信がない!という
私の「スキーマ」と偏見、すなわち「認知のゆがみ」があるからだと
気づくことができました。
しかし、
この小説の凄いところは、
主人公の女性エリザベスが自分の虚栄心に気づき、反省し、改めて、
イイコになって2人が結ばれる・・・
といった、
教訓めいた話、美徳を描いた話ではない! ところにあります。
人間の根っこのところはかんたんには克服できないし、
人間の悪徳な部分も描ききったところにリアルさ、面白さがあります。
参考文献
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