フランスで、学校でのいじめを厳罰化する動きが進んでいます。
日本でこの「厳罰化」を取り入れた場合、
果たしていじめをなくすための有効策になるでしょうか。
今年読んだばかりの
中野信子著『ヒトはいじめをやめられない』を参考文献に
私見を述べます。
いじめを厳罰化するだけでは不十分
私は いじめを厳罰化するだけでは不十分 のように思う。
例えば、
「いじめ加害者側」のリスクは「被害者からのリベンジ」、
または、
「いじめる者がいなくなったら、次は自分がターゲットになる」である。
それでも「いじめ加害者」がいじめをやめられないのは、
いじめ行為を行っているときに快楽、幸福物質「ドーパミン」が出ているからでる。
「ドーパミン」は依存症の原因にもなっている物質で
その快楽、幸福感は長続きせず、もっと欲してしまう性質がある。
このように「いじめ」のメカニズムを正しく理解することからが
「いじめ問題」解決の第一歩である。
そもそも、
「いじめ」とは、ヒトに組み込まれた本能なのである。
それゆえ、いじめをなくす!対策は「厳罰化!」という考えならば
「厳罰化」は有効に機能しないと思う。
理由 ① 「いじめ」はヒトの本能である
人間脳なかには、集団の中に「異物がいたら」排除せよという
プログラムが備わっている。
「異物を検知」する機能もあるし、
排除する機能もあるのだ。
「異物」とは「集団とはちょっと違う者」である。
集団よりも、
ちょっと太っている、ちょっとやせている、
ちょっと貧しい、ちょっとかわいい、など…
非常にイヤな機能であるが「異物」をいち早く検知し、
排除しようとするのがヒトの本能にあるのである。
※ この本能がなぜ組み込まれているか、できあがる過程についての
詳細は『ヒトはいじめをやめられいない』にあります。
理由 ② 学校という空間は極めて「いじめ」が起こりやすい
「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」という迷言のように
ヒトは集団でいることで、道徳観や倫理観が下がるということが
研究により分かっている。
ル・ボンの『群集心理』によれば1人の号令により集団は瞬時に染まり
人間は野蛮化し、理性を失い、本能のまま行動してしまうという。
例えば、行き過ぎた政治運動はときとして暴徒化し、
建物や店を荒らす行為に発展していまう。
このとき集団の個人は我を忘れているのである。
いじめも同様に深刻化しやすく、周囲に感染しやすく、
傍観者の報告も期待できないのである。
理由 ③ 子どもは「共感力」が低い
有田秀穂著『脳からストレスを消す技術』によると、
子どもは共感力が育っていないので、情動の涙――例えば、
オリンピックで選手が活躍をしているところを観て泣くことはできないという。
「共感」「配慮」「利他(他人のためになにかしてあげる)」「社会脳」を司る
眼窩前頭皮質は30代でようやく成熟するといわれている。
つまり、子どもには、善悪の判断や、今これをしたら自分が損をするという中長期的な思考、
相手の気持ちを慮ることが難しいのです。
結論:「いじめ」のメカニズムについて正しい理解が必要
このようにヒトの脳の機能や、「いじめ」のメカニズム、
学校環境を正しく認識し、理解することで
ようやくいじめ問題の議論のスタート位置に立つことができるように思う。
私は学校がもっと子どもの個性を優先するような機関であれば
「集団から浮いてしまう」ということがなくなったり、
「空気を読む」「同調圧力」も減るように思う。
しかしながら、
教員の負担も増えることが懸念されるし、
自由や個性を謳うかわりに、どのように規律・規範を
教えていくかも課題として残る。
何か旗を掲げる(スローガン)のような抽象的な概念を
個別のケースに応用させる力(構成力という)を
養う教育が必要とも思う。
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