【超オススメ本】ミヒャエル・エンデ 『モモ』

読書感想

内容

町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。

(本紹介文より引用)

「時間のみなもと」

効率を求めることによって、かえって失われる豊かさがあります。

たとえば、貯金して、やっととれた連休に旅行の計画を立てるとします。

せっかくだから、と分刻みのスケジュールを立ててしまいます。

何時にこの新幹線に乗って、何時にこのお寺を拝観して、
何時にバスに乗り、何時にカフェでおいしいお菓子を食べ、
何時に宿泊先に戻って・・・・

本当は「今」「この瞬間」の景色や味に自分を満足させなければいけないのに、
「時間」を満足させています。

日常生活においても、いつの間にか「自分」という軸を
「システム」に奪われていることってないでしょうか。

私もよくgoogleカレンダーにアレコレ予定を入れて、
通知アラートにあわせて行動しています。
便利なんですけどね・・・。

「時間のみなもと」のシーン

モモはマイスター・ホラという時間を司る老人に出会い、
「時間のみなもと」について教えてもらうシーンがあります。
それがとても美しいです。

天井のいちばん高い中心に、丸い穴があいています。
そしてそこから光の柱がまっすぐに下におりていて、

水面にすぐ近いところで、
なにかあかるい星のようなものが光の柱の中できらめいています。

~それはおごそかな、ゆったりとした速度で動く「星の振り子」でした。~

すると水面から、大きな花のつぼみが、すうっとのびて出てきました。
振子が近づくにつれて、つぼみはだんだんふくらみはじめ、
やがて、すっかり開いた花が、水のおもてにうかびました。

それはモモがいちども見たことがないほど、うつくしい花でした。

モモはその光景に、すべてをわすれて見入りました。
そのかおりをかいだだけでも、これまではっきりとはわからないならがらも
ずっとあこがれつづけてきたものは、これだったような気がしてきます。

やがてまた振子は、ゆっくりもどっていきました。
そして振子がわずかずつ遠ざかるにつれて、
おどろいたことに、そのうつくしい花はしおれはじめました。

花びらが一枚、また一枚と散って、くらい池の底にしずんでゆきます。

中略

ところがそのときには、池のむこうがわに、
またべつのつぼみがくらい水面から浮かびあがりはじめているではありませんか。
そして振子がゆっくりと近づくについれて、
さっきよりももっとあでやかな花が咲きにおいはじめたのです。

「本来の時間」を象徴するようなシーンといえます。
振り子は左右に繰り返し振りますし、
花が咲き、しおれていくシーンは命の誕生と消滅を描いています。

我々がとらわれがちな「時間という区切り」は社会をうまく機能させるための
「システム」であって、本来の「時間」とは遠ざかったものと気づかされますね。

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