【本の要約・気づき】『ツァラトゥストラ』ニーチェ著――「神は死んだ」=精神的支柱にすがって生きる危うさ

読書感想

前回は、どうしてニーチェは本書を著そうと思ったのか。

「ルサンチマン」とはなにか、それがなぜいけないのか、

についてまとめました。



今回は、ニーチェの中で有名な言葉

「神は死んだ」

についてです。

「神は死んだ」 とは?

本書が出版された19世紀頃は、

科学が発達し、文明化が進むことで

徐々に神への信仰が薄れてきた時代でもありました。



そんな中で本書『ツァラトゥストラ』の中で


主人公ツァラトゥストラは、

「私は人を愛す」

と言いますが、


森に住む老人の聖者は、

「人は不完全な生き物である。」

「私は神のみを愛す。」

と言います。



ニーチェは時代背景とともに、

森に引きこもる老人を嘆くように

ツァラトゥストラにこう語らせます。



「あの聖者は、神が死んだことを知らないのか・・・」




神の価値観で生きる

神を信じて生きるということは

「神からみた価値観に従って生きる」

ということです。



神に従う者が善で、

神に背く者が悪なのです。



違う視点からみれば

他人を否定することで

自分を肯定している、

ともとれます。




「生の高揚」を目指せ byニーチェ

ニーチェは、

人はもっと、ドキドキ! ワクワク!

自分がイキイキと生きられるように

生きなければならない! 

と、説きます。



自分とは違う軸で生きるのではなく、

もっと人生は多様なものだということを理解し、

自分のことを大切にして生きよ!



多様な生き方があるということは、

人生そのものが「生の実験」のようなものだ!

とさえ言うのです。



自分で生きろと言われても・・・

ニヒリズム


しかし、これまで神を信じていた人達にとっては

いきなり自分の足で立って、自分で決断して

自分で生きる・・・ということは難しいものです。



むしろ、人は、

精神的な支柱を引き抜かれると

無気力になってしまいます。



「どうせやってもムダじゃないか・・・」

「どうせ頑張ってもムダじゃないか・・・」



こういった無気力で、

何事も無価値と思う状態を

「ニヒリズム」としました。




「末人」


ニーチェは

人が、目標や大事なものを見失うと

「末人」になる。

といいます。



「末人」とは、

安定が第一、冒険しない、憧れの心を持たない。

「生の高揚」とはかけ離れた状態の人のことです。




「超人」

繰り返しになりますが、

ニーチェは「生の高揚」を目指せと説きます。


幼子だったころのように、常識にとらわれず

興味や関心を示したことに全力で取り組む、

無垢で、純粋で、イキイキとした生き方――



それを「超人」と名付けました。




まとめ ニーチェから、現代人へのメッセージ

本書の物語は比喩で満ちています。

現代に生きる私が読んでも

身につまされる思いがします。



常識や社会通念、

固定観念で頭がカタくなってますし、

何かにチャレンジしようと思うと

リスクやコストを計算して

二の足を踏んでしまいます。



しかし、このような生き方ばかりしていると

ますます世界が狭くなり、ますます頭がカタくなって

何も進展しない人生になってしまいますね。



(次回に続きます。)


ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)
ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)

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