美術鑑賞ができるのは、家がお金持ちだから?

アンケート調査によると、美術館に足を運ぶ回数と家の収入には相関があります。
そして、一枚の絵画を観て、
「何が」描かれているか、と
(人が描かれている、雲が描かれている、大人が描かれているなど)
「どのように」描かれているか、の差は
(スタイル、陰影、質感、ぼかし、緊張感、風、気味が良い、躍動感など)
育った環境の「文化資本」によって異なるといいます。
「文化資本」・・・・文化財・教養・学歴・文化慣習・美的性向など
「学歴」「収入」「階級」で差が生まれるとも言い換えられます。
残酷な現実ですね。
美的性向とは禁欲的な態度につながる
映画作品を観るとき、監督などのクレジットを取り敢えず脇に置いて
この作品はどのような物語なのか、このシーンの構図はどうなっているかなどは
自分の主観的な感情を取り払って鑑賞する「禁欲的な態度」といえます。
この「禁欲的な態度」は学校教育や、親に教え込まれるのではなく、
どのような環境でハビトゥス(傾向性)が育まれたかどうかで決まります。
「禁欲的な態度」は学校の成績や、進学、就職先、年齢に相関しています。
(それを証明したマシュマロ実験は有名ですね。)
義務教育は生まれ持った「学歴」「収入」「階級」の差をなくすために
できたものです。
しかし、
この「禁欲的な態度」が備わってないと、
むしろ自分が落ちこぼれであると
あらためて烙印を押されることになります。
たとえば、
「因数分解」や「関係代名詞」を理解するためには
勉強や宿題をやる以前に、
「授業の数十分間、黙って椅子に座って先生の話を聞く」
という態度が備わってなければいけません。
子どもは義務教育~高校教育の12年間をじっと耐えて勉強し、
難関大学に入るという「禁欲」よりも、今楽しいことをしたいわけです。
学校の評価はこれができるかどうかの評価になっています。
「社会学」の意義
学校でうまくいかず、ドロップアウトしてしまった子どもたちに
自己責任論を押しつけるのは間違いです。
そもそも「人は自分を正当化する倫理を選びがち」です。
努力でのし上がった人は「努力が大事なんだ!」と言います。
今成功している人は、社会をドロップアウトした人たちに対して、
自己責任論で片づけてしまいがちです。
しかし、冷静にシステムを視るとそうではないことがわかってきます。
その自己責任論に一石を投じ、
社会のシステムを分析するのが社会学の意義なのですね。
イギリスの中等学校を卒業し、すぐに就職する労働階級の少年たち。彼らのいだく学校・職業観はいかなるものか? ―を生活誌的な記述によって詳細にたどり、労働階級の文化が既存の社会体制を再生産してしまう逆説的な仕組みに光をあてる。
学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐすルポルタージュ
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