智慧と慈悲(100分de名著「維摩経」「法華経」)

雑記

学校や職場の会議で意見を言うとき、 人にどう思われるだろうかと、
他人の顔色を伺うことってありませんか?

私自身も自分の考えが無意識のうちに
「他人の影響」に汚染されていると感じることがあります。

「他人の影響」はノイズとなり、思考や判断や認知を歪ませます。

NHK100分de名著「維摩経」「法華経」の回を最近観たのですが
現代に生きるわたしたちにも活かせる
ヒントがたくさんあったので紹介します。

たとえば、「智慧」と「慈悲」 について、

「智慧」=フィルター

人は自分の色眼鏡を通してものごとを見ています。
この色眼鏡=フィルターをはずしていくというのが
「智慧」にあたる、とわたしは解釈しました。

人は自分の価値観や経験でものを見たり、判断します。
また、他人の影響を受けたりもします。

ここに罠が潜んでいて、
それが苦しみや怒りの素となります。

親や教師の言われたことに縛られたり、
SNSの情報の波に振り回されるというのは
現代でもあるあるですね。

人はフィルターを通して
物事を見ている、考えている、判断していると
知っているだけで随分違うように思います。

「慈悲」=平等

「慈悲」の「慈」には、
「あまねくすべての人々に平等に示す友情」という意味があります。

「慈悲」の「悲」には、
「人生の苦に対する呻き」という意味があります。

「自らの苦しみを知る時、他人の苦しみを知ることが出来る」

「他人の苦しみを知ると癒さずにはいられない働き」

という意味が込められています。

「差別しない、区別しない」ということと「共感」と
私は解釈しました。

あの人は好きな人だから積極的に助けようとか、
あの人は嫌いな人だから見て見ぬふりをしようとか
やっちゃいがちです。

人を嫌うと相手も無意識にそれを察知しますから
さらに物事を進めづらくして、かえって自分の首を絞めることになります。
心に留めようと思いました。

人が本当に「共感」するとき、自分も他人もない。

脳生理学者有田秀穂先生が仰っていた受け売りですが、

「人が本当に「共感」するとき、自分も他人もない。

 ただ「事実」のみがある」

私もこうなれるように「智慧」と「慈悲」を意識して
実践していきたいですね。

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