校則必要、不要論について

雑記

まず、わたしの結論からいうと、校則は必要です。
しかし、校則を守るためには家庭での教育の土台も必要であると考えます。

校則を必要、不要で議論するということ。

もちろん、人権を無視した校則、
それを力ずくで守らせるという構図はもってのほかです。

しかし、校則を必要、不要で議論すると

「他人に迷惑をかけなければいい。」

「他人を傷つけなければいい。」

という基準で議論されてしまいがちです。

しかし、

「他人に迷惑をかけなければいい。」「他人を傷つけなければいい。」
という基準で議論されてしまうと必ず漏れが発生します。

「髪を染める」

「ピアスをする」

「授業中にあくびをする」

「居眠り」

「遅刻」

「乱れた服装で学校に来る」

「学校にお菓子やマンガを持ってくる」

「家で飲酒する」

などがそうです。

生徒に納得して守ってもらうためには
「悪い」としたらなぜなのかを明確に示す必要があります。

基準や倫理観とは、重層的で、1つの基準で語られるものではありません。

「美しいか美しくないか」

「礼儀」

「人間としての品位」

「ふわしいか、ふさわしくないか」

といった基準があってもいいと思います。

学校教育の前に、家庭での教育という土台が必要

これらは教えたり、説明したりするのが
非常に難しい観念です。

しかし、時と場合を考えて行動するという能力は、
人間として大切なものなので、是非とも教えるべきです。

「これはいい」「これはわるい」という個々のケースで
形式的に守らせていると、生徒がそれ以外のことに対応できない
または、それ以外のことはやってもいいといったことが起きます。

世の中には「秩序」があり、なんらかの「原理」に従って
動いているという感覚が育っていなければなりません。

それを教え込むのが家庭での教育で

規則を守ってもらうためには、その規則が妥当でであることと、
生徒が納得できない規則を力ずくで無理に押し付けるのではなく
必要性を学び、規則を守ることの大切さをおしえることが大前提です。

「秩序感覚」と抽象的な「原理」をケースバイケースで
応用する力が養われていないと、

全て「個人的な感覚」で判断されてしまい、
「気に入らないから」「必要性が感じられないから」
という理由で反発が起き、社会が成り立たなくなります。

そうすると、学生が社会に出たときにぶつかる壁がたくさん生じます。

そうならない為にも、校則の必要、不要の議論は
今いちど、冷静になって行うべきだと思います。

Bitly

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